女性の働きぶり、佇まいに魅力を感じるタイプだ。
独身だったりしたらまずルックスやスタイルに目がいくもんだし「いいコだな」といぅのも恋愛と直結するのが自然かもしれない。
ぼくだって、以前はそんなこと思わなかったもんだ。いくら好感度が高くても、好みのタイプでなきゃ何の興味も持てなかった。しかし、既婚の男になったいま、とらわれることなく人を見ることができるようになってきた。
上っ面のかわいさや色っぽさで、頭までのぼせ上がることはない。そして、ここへきて逆にクローズアップされてきたのが、目立たない存在だが、日々の暮らしに潤いというか、気持ちの良さを与えてくれる「いいコ」たちなのだ。となれば、いったいどんなコなのか知りたくなるのが人情。単なる客と店員だとしても、しばしば顔を合わせているのだから、まんざら知らない仲じゃない。
まして、ナンパしようとか愛人になってほしいなんて下心がないなら、気楽に声はかけられそうだ。できれば駅前でお茶でも飲みながら話でもしてみたい。ハタチくらいのコだと話がかみ合わないよぅな気もするが、それはそれ。なにせ相手は「いいコ」なのである。大丈夫、きっと話は弾むは何の問題もない。ホームドラマではごくありふれたシーンだったりする、色も欲も絡まない日常のーコマ。
考える限りにおいてはだと思う。だが、これができそうでできないのである。やましいところはないのに、心のどこかが萎縮してしっのか、声がかけられないのだ。最初に「いいコだなあ」と思ったのは、新聞配達の女のコだった。雨の日など、濡れないように気を遣ってポストに入れてくれるし、やたらと感じがいい
いまどき貴重な、気持ちのいい若いこと思った。で、1年ほどたったある日のこと。休んでいたら、ひとりでやってきたのである。誰かと待ち合わせている様子はない。夕刊配達までの時間つぶしらしく、所在なげに隣の席でぼんやりしている。明らかにヒマそうだ。話をするタィミングとしては最高といってもいい。
ぼくは「こんちわ」と声をかけようとした。ところが、その一言が出ないのだ。それどころか、急にドキドキしてしまい、慌ててスポーツ新聞に熱るフリをする
挙げ句の果てには、なんだか居づらくなり、逃げるように店を出てしまつた。ナンパと間違われそうで、ビビッてしまつたのだ。声をかけたせいで気まずい雰囲気になるのなら、しらんぷりでやごして可もなく不可もない関係を保ちたい。下心もないのに、平穏な日々の暮らしにリスクを持ち込むことはない。
「あの人、ちょつとヘン。気持ち悪い」なんて噂になつたら困る。ぼくはそんなふうに考え、保身に走つた。おかげで警戒されることもなかつたが、名前すら知ることができないまま、いつしか彼女がぼくの家に新聞を配達することもなくなってしまった。
だけじゃない。きびきびした働きぶりが気に入っていた中華屋のバィト?笑顔が愛くるしい花屋の店員も、「いいコだ」と思いつつなんらアクションが起こせないまま、どこかへ去ってしまった。情けない話である。
郵便局は住宅街にあって客が少ないせいか、どのも愛想がいい。用紙の記入がわからなければすかさず教えてくれたりするし、老人客にもほどょく気を遣うなど、親切な仕事ぶりであることは、通い始めてすぐに気がつぃた。一度など、切手を大量に持ち込んで交換してもらったら、間違いをしたらしく、その日のうちにポストに不足分の切手と詫び状が入っていたこともあった。
たまに他の局にいくと、違いに驚くほど、ていねいなのである。なかでも、ぼくが抱いているのはの佐藤さん仮名。いきなり名前をチエックしてしまったが、名札をつけているから誰だってわかる。自慢にならんね。先輩に混じるとスムーズさには欠けるものの、初々しさが残っていて雰囲気がさわやかだ。この、さわやかさというヤツは営業スマイルなどでいくらで出できるが、佐藤さんのは別である。なにせこっちはしよっちゅう仕事ぶりを見ている。ボケが始まった老人の応口ぅるさいオバサンとの会話、ルールを守らない客との接し方〇ちよつとしたところにが出るものなのだ。佐藤さんはどんなときにも面倒がらずに客の相し、自分にミスがあればに謝り、どんな客でも分け隔てをせず、「ありがとうございます」の一言も、忘れることがない。まさに、けなげと言えるほどの「いいコ」ではないか。美人というわけではないけれど、人をホッとさせるところがある。